2026年9月17日、OpenAIとMicrosoftをめぐる著作権訴訟で、これまで黒塗りだった裁判書面の一部が公開されました。
そこに記されていたのが、MicrosoftのDirector of Applied Science、Brent Hecht氏による強い言葉です。
2023年1月の社内メモでHecht氏は、AI学習のために大量のコンテンツを取得する行為について、「前例のない規模の驚くべき窃盗」、さらに「the largest theft of labor in human history(人類史上最大の労働の窃盗)」と表現したとされています。
翌2024年1月にHecht氏が作成した別の社内資料では、さらに先の問題が議論されていました。
AIが出版社のコンテンツを利用して便利になるほど、利用者は元のサイトへ行かなくなる。出版社の収益が減れば、新しい記事を作るための投資も減る。その結果、AI自身が将来学習・参照できる良質な情報まで減ってしまう。
Microsoft内部では、この循環を「doom loop」と呼んでいました。資料には、モデルの性能とWeb全体の双方を傷つけるとの懸念も記されていたと報じられています。
NYT対OpenAI・Microsoftでは何が争われているのか
The New York Timesを含む報道機関や著者は、OpenAIとMicrosoftが著作物を許可なく取得し、AIモデルの学習や製品開発に利用したとして著作権侵害を主張しています。
現在、多数の関連訴訟はニューヨーク南部地区連邦地裁で「In re OpenAI, Inc. Copyright Infringement Litigation」としてまとめて審理されており、事件番号は1:25-md-03143です。Reutersの裁判報道でも、この事件番号が確認できます。
2026年9月4日には、ニュース原告側、OpenAI、Microsoftなどがそれぞれsummary judgment(略式判決)を求める書面を提出しました。9月17日に公開されたのは、その書面で当初黒塗りされていた部分の一部です。
OpenAIとMicrosoft側は、AI学習は元の記事をそのまま販売する行為とは異なり、新しい目的へ変換する「transformative use」であり、米国著作権法上のfair useに当たると主張しています。
原告側は、無断で大量の著作物をコピーしてモデル開発へ利用し、さらにAI製品が元の作品と市場で競合しているとして反論しています。
9万1692件、200万件、16万903件——取得されたコンテンツの規模
今回の書面では、ニュース記事がAI開発へ取り込まれた規模も具体的に示されています。
原告側によれば、OpenAIのmid-training用データセットには、The New York Times、Daily News、Center for Investigative Reportingが公開した作品のコピーが9万1692件以上含まれていました。
Common Crawlをもとにした別のデータセットには、nytimes.com由来の文書だけで200万件以上が含まれていたとされています。
MicrosoftとOpenAIの間でも訓練データがやり取りされていました。
裁判書面に登場するのが、「Project Taxi」と「Project Mango」というコードネームです。
Project Taxiでは、Bing検索用に収集されていた数十億のWebページをMicrosoftがOpenAIへ提供したと原告側は主張しています。
Project Mangoでは、OpenAIのためにMicrosoftがWebクローラーを開発・運用し、そこで集められたデータから、ニュース原告側の作品を少なくとも16万903件含む訓練データセットが作られたとされています。Bloomberg LawもProject TaxiとProject Mangoの存在を確認しています。
これらは、裁判所が最終的に認定した件数ではありません。原告側がディスカバリーで得た資料をもとに、略式判決を求める書面の中で提示している数字です。
paywallを回避する方法も社内で共有されていた
原告側書面には、有料会員向け記事の取得をめぐるOpenAI内部のやり取りも引用されています。
OpenAI研究者のNick Ryder氏が共同創業者Greg Brockman氏に、The New York Timesのpaywallを回避する方法を報告し、Brockman氏が短く肯定的な返信をしたとTechCrunchなどが報じています。
著作権表示の扱いも争点になっています。
原告側は、研究者が学習データからcopyright notice(著作権表示)を除去し、モデルの出力に著作権表示が現れないようにしようとしていたと主張しています。
Hecht氏は、こうした仕組みによって権利者が「何が学習に使われたのか」を確認しにくくなるため、「accidental cover up」と受け取られかねないとの懸念を示していました。
ここから「OpenAIが著作権侵害の痕跡を隠そうとした」とまでは断定できません。
今回明らかになった情報の多くは、ニュース原告側が準備書面の中で引用した内部文書や証言です。基礎となったexhibitの一部は今も封印されたままで、公開された数行だけでは前後の文脈を完全には確認できないものがあります。
この点は、今回の資料を読むうえで欠かせない制約です。
OpenAI内部では「出版社を代替する」と書かれていた
AIが出版社へ与える影響について、OpenAI内部にも直接的な表現が残っています。
ChatGPT責任者のNick Turley氏は、出版社が「existential threat(存亡に関わる脅威)」に直面すると述べ、OpenAIの製品について「largely substitutive, period」と表現したとされています。
さらに、製品の性能が向上するほど「more and more substitutive」、つまりより代替的になっていくとの認識も示していました。
Microsoft CEOのSatya Nadella氏も宣誓証言の中で、チャットボットとの会話が、従来ユーザーが訪れていた出版社サイトを「substituted(代替した)」という趣旨の説明をしています。
Nadella氏は、paywallのあるコンテンツはAI学習に使うのであればライセンスされるべきであり、OpenAIがpaywall越しの情報を取得して学習していたと知っていれば、Microsoftが持つ権利を使ってモデルの再学習を求めていたとも証言しています。
なぜ「代替する」という発言がfair useと関係するのか
米国著作権法のfair useは、AI企業が著作物を「変形的に使った」と主張すれば自動的に成立する制度ではありません。
利用の目的や性質、著作物の性質、使用した量、そして元の作品の市場や価値へ与える影響などを総合的に判断します。
ニュース原告側が今回の内部資料を持ち出している理由の一つが、市場への影響です。
OpenAIとMicrosoftは、AI学習は高度にtransformativeで、モデルは著作物そのものを置き換えるものではないと主張しています。
原告側はTurley氏の「largely substitutive」やNadella氏の証言を示し、社内ではAIがニュースコンテンツを代替すると認識していたではないか、と反論しています。
ただし、AI学習とfair useをめぐる司法判断はまだ固まっていません。
2025年にカリフォルニア州で出たAI学習関連の判断も結論は分かれており、Reutersは現在の判例状況を「mixed」と整理しています。
さらに2026年9月1日、トランプ政権の米政府はこのニューヨーク訴訟でOpenAI側を支持する意見書を提出しました。Reutersによれば、政府はAI学習は一般にfair useに当たり得ると主張し、AI開発を過度に制約すれば科学研究、国家安全保障、経済競争力へ影響すると訴えています。
米政府の意見書には法的な拘束力はありませんが、この裁判が出版社とAI企業だけの争いではなく、米国のAI政策とも接続していることが分かります。
内部資料が公開されたからといって、OpenAIとMicrosoftの敗訴が決まったわけではありません。
Microsoftのデータではクリック率が83〜93%低下
市場への影響について、今回の書面には実際の利用データも登場します。
Bloomberg Lawによれば、Microsoft自身のデータで、Copilotのanswer engineからThe New York TimesとDaily Newsのコンテンツへ移動するクリック率は、従来型Bing検索と比較して83〜93%低下しました。
Ziff Davisのドメインでは51〜94%低下したとされています。
この数字は、「AI検索を導入すると、すべてのWebサイトでアクセスが最大94%減る」という意味ではありません。
今回のニュース原告側のドメインについて、Microsoftが従来型検索とanswer engineを比較したデータです。
それでも、従来の検索エンジンとAI回答エンジンの違いは数字に表れています。
従来型検索では、検索結果を経由して目的のWebサイトへ移動することが利用体験の一部でした。
AIのanswer engineは、検索結果の画面内で質問への回答を生成できます。そこで目的を達成できれば、回答の下に出典リンクが表示されていても、クリックする理由は弱くなります。
Microsoftが恐れていた「Doom Loop」
Microsoft内部資料には、次の趣旨の記述がありました。
最終製品が、自らにとって不可欠な供給者の経済的基盤を脅かすのは非常に珍しい。
AI企業にとって、その「不可欠な供給者」に当たるのが、Webへ新しい情報を送り出し続ける出版社やクリエイターです。
Hecht氏が2024年1月の内部資料で示したDoom Loopは、おおむね次の循環です。
AIがニュースやWebコンテンツを利用する
→ AI回答だけでユーザーが満足する
→ 元サイトへのアクセスや収益が減る
→ コンテンツ制作への投資が減る
→ Web上に新しく作られる質の高い情報が減る
→ AIが学習・参照できる情報も減る
Microsoft内部では、LLM事業が自らの「content supply chain」を弱らせ、モデルの性能とWeb全体を同時に傷つける可能性が懸念されていました。
AIは一度Webを読み込めば終わる技術ではありません。
昨日までのニュースだけでは今日のニュースに答えられず、新しい研究、製品、法律、技術、企業活動について答え続けるには、人間や組織が新しい情報を作り続ける必要があります。
AIが情報を取り込む側だけを効率化し、その情報を生産する側の経済性が崩れれば、将来のAIが利用できる情報そのものが痩せていきます。
「人類史上最大の労働の窃盗」は雇用の話にもつながっていた
Hecht氏の懸念は、出版社の売上だけにはとどまりませんでした。
Bloomberg Lawによれば、MicrosoftやOpenAIのスタッフは、生成AIがコンテンツを作った人々の仕事や文化へ与える影響についても社内で警告していました。
OpenAIのJack Clark氏も、同社が作るシステムが、社会の文化を形作る人々の労働を代替していく可能性について言及していたとされています。
ニュース記事を書けばAIが要約し、レビューを書けばAIが回答へ取り込み、専門知識を公開すればAIが別のユーザーへ説明する。
同じ関係は、出版社の外にもあります。
広告、購読、アフィリエイト、資料請求など、Web上には「読者が情報を読みに来る」ことで制作費を回収する仕組みが数多くあります。
AI側から見れば、それらは回答を作る情報源です。
情報を作る側から見れば、読者との接点そのものが事業を維持する仕組みでもあります。
AIと雇用の関係については、当サイトの「ビル・ゲイツが警告するAI時代|仕事・格差・人間関係はどう変わる」でも、AIの恩恵と仕事への影響を別の角度から扱っています。
ビル・ゲイツが警告するAI時代|仕事・格差・人間関係はどう変わる
Microsoftは「個人の見解」と反論している
MicrosoftはHecht氏の発言を、同社の公式見解とは位置づけていません。
Bloomberg Lawに対し、Microsoft spokespersonのAlex Haurek氏は、Hecht氏の発言は「一従業員個人の見解」であり、法的分析でも会社の見解でもないと説明しました。
Nadella氏の証言についても、Microsoftは同社の法的立場と矛盾しないとしています。Nadella氏は人々が情報を探し、消費する方法の大きな変化について述べただけで、裁判所が判断する著作権上の結論とは別だという説明です。
Microsoftは現在も、AI学習はtransformativeなfair useに該当し、Copilotは出版社のジャーナリズムを代替するものではないという立場を維持しています。
今回表に出た発言の多くは、ニュース原告側がsummary judgmentを求めるために選び、引用したものです。
元となった証拠資料の一部はいまだ封印されているため、公開された一節だけでは文脈を完全に確認できないものもあります。
内部で強い懸念が語られていたことと、著作権法上の侵害が成立することは別の問題です。
ライセンス契約を結べばDoom Loopは止まるのか
AI企業と出版社のライセンス契約は、一つの解決方法です。
コンテンツを利用するAI企業が、その生産者へ対価を支払えば、情報を作る側だけが費用を負担し、AI側だけが利益を得る関係は緩和できます。
ただ、Web全体へ広げると簡単ではありません。
大手出版社ならAI企業と個別契約できますが、小規模な専門サイト、個人ブログ、地域メディア、コミュニティの投稿まで一社ずつ契約するのは現実的ではありません。
送客の問題も残ります。
AI企業がコンテンツ利用料を支払っていたとしても、answer engineの中で利用者の目的が完結すれば、出版社は読者との直接的な接点を失う可能性があります。
一方で、AI回答から元サイトへ十分なアクセスが戻る仕組みを作れれば、検索エンジンとWebサイトが築いてきた関係に近づける余地はあります。
今回の裁判が直接判断するのは、著作権法上の責任です。
Doom Loopが扱っている範囲は、それより広い。
AIが新しい情報を必要とし続ける限り、情報を生産する人や企業にも、新しい情報を作り続けられる経済的な仕組みが必要です。
FAQ
「Doom Loop」は報道機関が付けた名前ですか?
報道機関が今回作った言葉ではありません。
原告側の裁判書面に引用されたMicrosoft内部資料で「doom loop」という表現が使われており、モデルの性能とWeb全体を同時に傷つける可能性が議論されていたと報じられています。
「クリック率93%減」はWeb全体の数字ですか?
違います。
Microsoftのデータとして、The New York TimesとDaily Newsのコンテンツで83〜93%、Ziff Davisのドメインで51〜94%のクリック率低下が原告側書面に示されたものです。
AI検索全般やすべてのWebサイトにそのまま当てはめられる数字ではありません。
OpenAIやMicrosoftが著作権侵害を認めたのですか?
認めたわけではありません。
今回公開されたのは主に、ニュース原告側が略式判決を求めるために提出した書面の黒塗り部分です。
OpenAIとMicrosoftはAI学習などについてfair useを主張しており、米政府も2026年9月にOpenAI側を支持する意見書を提出しています。裁判所による最終判断はまだ出ていません。
Project TaxiとProject Mangoとは何ですか?
原告側書面に登場する、MicrosoftとOpenAIのデータ提供・収集に関するプロジェクト名です。
Project TaxiではBing向けに収集された大量のWebページがOpenAIへ提供され、Project MangoではOpenAI向けにMicrosoftがクローラーを開発・運用したと原告側は主張しています。
参考・参照元
News Plaintiffs’ Summary Judgment Brief / In re OpenAI, Inc. Copyright Infringement Litigation
事件番号1:25-md-03143。ニュース原告側の略式判決関連書面は2026年9月4日に提出され、9月17日に一部黒塗りが解除されました。
Bloomberg Law — OpenAI, Microsoft Leaders Admitted AI Threatens News Outlets
Nadella氏、Turley氏、Hecht氏の発言、Alex Haurek氏によるMicrosoftの反論、クリック率83〜93%・51〜94%、Project Taxi/Mangoなどを確認。
Bloomberg Lawの記事
Reuters — OpenAI, Microsoft executives’ quotes on AI training threaten copyright defense
今回公開された内部発言と、fair useをめぐる両陣営の主張を確認。
Reutersの記事
Reuters — OpenAI, New York Times case tees up key test of AI training under copyright law
類似事件でfair useをめぐる司法判断が分かれていることや、今回の訴訟の位置づけを確認。
Reutersの記事
Reuters — US government backs OpenAI in New York Times copyright case
トランプ政権がOpenAI側を支持する意見書を提出し、AI学習とfair useについて示した立場を確認。
Reutersの記事
Ars Technica — Microsoft exec called AI scraping the “largest theft of labor in human history”
Doom Loop、Hecht氏の「accidental cover up」をめぐる懸念などを確認。
Ars Technicaの記事
TechCrunch — Microsoft exec called AI scraping ‘the largest theft of labor in human history’
91,692件、200万件、Project Taxi/Mango、paywall関連のやり取りなど、データ取得の具体像を確認。
TechCrunchの記事
